厚岸ゆかりの偉人


【最上徳内】(1755〜1836)
 
 山形県村山郡楯岡村の農家に生まれる。25歳の時、江戸に出て学者本多利明に師事。医学・国学・天文学・地理学・航海学等を学び、天明5年(1785年)以来、蝦夷地探検隊として9度蝦夷地に渡る。寛政3年(1791年)には神明宮(厚岸神社の前身)を創建。近藤重蔵の択捉探検の案内役を務めた。

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【近藤重蔵】(1771〜1829)

 近藤重蔵は幕府の官僚で、寛政10年(1798年)蝦夷地御用掛となり、最上徳内の協力を得て択捉に「大日本恵登呂府」の標柱を立て、千島における日本最初の領土宣言をした。また、同島からグイマツを持ち帰り、創建以前の国泰寺境内に移植。徳内が立てた神明宮の修復も手がけた。以来6度、蝦夷地を訪れた。

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【松浦武四郎】(1818〜1888)

 江戸時代末から明治時代に掛けて、北海道について多くの記録を残す。弘化2年から安政5年(1845〜58)の間、蝦夷地滞在のべ4年6か月、蝦夷地をはじめ千島・樺太を6回探検し、厚岸にも3度訪れた。安政3年(1856年)の「納沙布日記」に『海山のけしきすずしき此浦を 誰があつけしと 名つけ始めん』と、厚岸の記述を残している。アイヌ民族の保護に尽力した武四郎は、北海道をはじめ釧路、根室などの国名を名づけた。

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